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シナリオライターからプログラマーになった人のブログ。要するにずっとスクリプト。

【暴論】初志貫徹って20代超えたら大体は勘違いじゃないだろうか

初志貫徹、という言葉がある。
 
それは大概素晴らしいこととして使われる。
学者政治家スポーツマン、ともすれば会社から給料をもらって生活をする、僕のようなしがない会社員ですらそうだ。
 
はじめに決めたことはやり遂げろ。初志貫徹だ。
大体こんな用法で使われるんじゃないだろうか。
何かにつけてふらふらしたがる僕にとっては、大変耳が痛いお言葉である。
 
あまりに耳が痛いので、ちょっと屁理屈を考えてみた。
 
・・・・・屁理屈ここから・・・・・
そもそもちょっと待ってほしい。
20代過ぎて決めたことって、本当にそれは「初志」なのだろうか。
初志とは、初めての志と書く。
 
「初めて」である。
 
仕事の中間目標とか、営業目標とか、 そういったものは確かに志といってよいと思う。
でもそれは、果たして「初志」なのだろうか。
生まれてこの方、初めて持った志が「売上●●万円!」とか、そんなの少し悲しくないだろうか。
それをやり遂げることがよくないといっているのではない。
それは「志貫徹」であり、「初志貫徹」だと僕は主張したい。
 
では、「初志」とは何か。
それは、「子供の頃、最初に抱いた夢」じゃないかと僕は思う。
そういった意味での「初志貫徹」は本当に素晴らしい。
子供のころから好きで好きでたまらず、その道を歩き続けて踏破して、いずれはスターや偉人と呼ばれるまでに到達する。
例えそれがうまくいかず、寄る年波には勝てず挫折し、しかし夢をあきらめられない……というような生き方も、ぼくは非常に美しいものだと思う。
(というか、大学時代からそんな人間の話ばかり劇にしている気がする。性癖かな?)
 
僕も昔はそんな「初志」があった。
「とーこーだい(東工大)にいって、ろぼっとえんじにあになる」
こんなくだりが、物心ついてすぐくらいから、幼い時分しばらくの僕の口癖だった。東工大」という単語だけは、今は亡き父に洗脳教育のように教え込まれていた。今となってはわからぬことだが、亡き父が行きたかったのかもしれない。
とにかくロボットが大好きで、Gガンダムのプラモデルに端を発し、ミニ四駆ゾイドタミヤの駆動模型、ラジコン、はたまた電子工作……と、順調に進歩を重ねていき、小学校高学年で、その夢は一旦終わりを告げることになる。
 
 
ジュブナイル」という映画に出会ったからだ。
「ストーリー」「エンターテイメント性」「邦画のSFX」、どの切り口で見ても最高の作品なのだが、
語りだすと止まらなくなるのでその話は今回は割愛しようと思う。テトちゃんかわいい。
とにかく僕はその映画に衝撃を受け、そして、気づいた。
「僕が作りたかったのは、巨大ロボットとしての「ガンダム」ではなく、アニメとしての「ガンダム」なんだ」と。
そんなわけで話づくりに興味を持ち、高校から社会人にかけてそれにのめりこみ…………
その後まあ、紆余曲折を経て、(経まくって)今は小さなベンチャー企業に所属し、SEのはしくれとして仕事をもらっている。
理屈っぽい性格に機械の調整は向いていたようで、そこそこ面白おかしく生活ができていると思う。
 
 
閑話休題。初志貫徹のことに話を戻そう。
そんな志乱立主義の僕だからこそ思うのだ。
「志貫徹はべつにしなくてもいいのだ」と。
 
コロコロ志を変えるのも、実はいいことなんじゃないかと思う。
天変地異やら技術革新やらライバルやら抽選やら、
本人の意思ではどうしようもない「運」のところで志がついえることは、残念なことに結構ある。
そもそも「初志」くらい、もう天啓のように閃いたことでない限り、
それはそもそも自分には向いていないことだってある。
今の自分に合わせて、新しい志を次々と持っていくのも、悪くはないことだと思う。
 
あの手塚治虫もこんなことを言っている。
 
「夢は二つ以上持ってください。
夢が一つしかないと、その夢が破れた時挫折してしまう。
二つ以上夢があればそうはならない」 
(おぼろげ引用)
 
というわけで。
 
何事にも「初志貫徹!!!!!」っていうのはいかがなものか!!!!!!!!!!!!
・・・・・ここまで・・・・・
 
とまあ、屁理屈こね太郎してみた。
でもやりたくないことはやらないで、やりたいことをやる。それが一番結果的にいいものができるんじゃないかなーってのは本心です。
だから、前回の「週1で書く!」という宣言をしたブログから膨大な期間が開いていても、
それは仕方のないことなんだ。
 
うん。
 
 
 
 
 
 
 
※ちなみに本当は「初志」で初めて思い立った時のことを表す熟語なので、この説は詭弁です。
 どや顔で引用して恥かいても責任持ちません。
 
【一部の人へ追伸】そんな思いで、かなり前に収録したボイドラの企画とにらめっこしてました。資金繰りがめど立ったらジャケ絵調達してなにかしらの形で公開するので今しばらくお待ちをば。

ストーリーを面白くするためのルール決めについて

 最近プロットやらコードやらばかりを書いていて、人に見せる文章を書くのがご無沙汰になっていたので、リハビリを兼ねてはてぶデビューしてみる。

 アニメ・漫画・ラノベ・小説・映画などなどについて思ったことを、つれづれなるままに書いていく予定。

 好き勝手に持論をあげつらっているだけなので、反駁、指摘、拒絶大歓迎です。

 

 基本的には週一くらいのペースを守って更新していこうかと思う。

 

 さて、そんなわけで第一回のテーマはこれ。「ストーリーを面白くするためのルール決めについて」である。

 ここでいう「ルール」というのは、ざっくり「その物語で登場人物が従わなければいけない規則や法則」について。

 

ジョジョ」なら波紋やスタンドといった能力、

ガンダム」においてはミノフスキー粒子という要素や、南極条例などの法的要素、

トライガン」であればヴァッシュの殺さずの誓い、

まどマギ」だったら魔法少女と魔女、

スラムダンク」のそれはバスケのルールとトーナメント制で、

Fate/staynight」では聖杯戦争やサーヴァントシステム、

火曜サスペンス劇場」だったら日本国法令がそれに該当する。

(以後、上にあげた作品は多少のネタバレがあるので、その点ご了承いただきたい)

 

 もちろん、明確なルールが定められていない物語も多数ある。そもそも僕の聖典が一つである「天元突破グレンラガン」は、明確なルールを定めない「気合と根性」の話である。まあ、厳密的に言えば「気合と根性」と「ドリル」、それから「宇宙の法則」をルールにした極上のワイドスクリーンバロックなのだが、それについてはグレンラガンのシナリオを懇切丁寧に説明する必要が出てくるため、ここでは割愛する。ネタバレはもったいないと思うので、このブログを見て興味を持っていただけたようならぜひレンタルビデオ店に走ってほしい。

 

 ようするに、このトピックで話すのはあくまでストーリーを面白くする方法の一つにすぎず、さらにそれを使ったからと言って必ずストーリーが面白くなるとは限らない、中途半端な方法論に過ぎないということである。身もふたもないことをいうと、「僕はこんな話が好き」というだけの考察ともいえる。

 

 予防線は今のでたっぷり張れたと思うので本題に入ろうと思う。じゃあそストーリーが面白くなる方法とはなんなのか、お前が好きなのはどんな話なのかというと、それは

「ルールが厳格に定義されていて、なおかつそれが破られるストーリー」である。

 

 なんのこっちゃいと思われるかもしれないが、先ほど冒頭で挙げた7作品のルールは、それらのすべてがストーリー中で破られるルールである。

 

ジョジョ」では波紋が効かない敵が出てきたり、「スタンドバイミー」が語源のはずのスタンドを、遠隔操作する人間が出てくる。

ガンダム」においては南極条例を無視して水爆やらコロニーやらが降ってくるし、そもそも主人公はミノフスキー粒子を無視して敵と通信できる超能力者だ。

トライガン」一番の名シーンはレガートとの決戦だと僕は思うし、「まどマギ」のクライマックスは、まどかが魔法少女というルールを完膚なきまでに叩き壊すものだ。

スラムダンク」は少しわかりづらいかもしれないが、「絶対に負けてはいけない」というトーナメントのルールを破ったからこそ、あの伝説のエンディングがあったのだと僕は思う。

火曜サスペンス劇場」は、そもそも日本国法令を破らないと物語が始まりすらしない。

 

Fate/staynight」は、この中でも特にルールの破りっぷりがすさまじい。すさまじすぎていっそすがすがしいし、それゆえに僕はあの作品が本当に名作だと思う。

知らない人にも向けてこの聖杯戦争のルールを簡単に説明すると、以下のようになる

 

【7体】の【過去の英雄の霊】を、【7つのクラス】に当てはめてサーヴァントとして現代に召喚し、それと契約した【7人】の【魔術回路を持つ】【人間】が、それらサーヴァントのマスターとして、【万能の願望機である】聖杯を求めて殺し合いをする。

 

 視聴・プレイ経験はある人はお気づきだろうが、【】でくくられた部分が、作中において破られるルールに該当する。もうやりたい放題である。

 ちなみにそれ以外にも【マスターには、サーヴァントに対する絶対命令権が3回のみ与えられる】【サーヴァントの最強武器である宝具は、多くても1人3つまで】【アサシンのクラスに該当するサーヴァントは、ある特定の英雄からしか選ばれない】【人間では絶対にサーヴァントにはかなわない】【教会が中立役として調停を行う】などの細かいルールも登場するが、なんとびっくりすべて作中で破られてしまう。作中にも登場する「ルールブレイカー」は、作者の菌類の人にこそふさわしいのではないだろうか。

 

(余談だが、僕はFateの番外続編であるFate/Extraのシナリオがそれなりで、その番外編であるCCCが面白いのは、このルールの破る量が関係していると思っている。主人公が永遠ハイハイで前に進むだけのパートとかは圧巻だった)

 

 この面白さは、「対比による意外性」だと僕は考えている。ルールを破ること自体は、物語の中の人間にとって難しいことではない。物理法則からすら自由な彼らにとっては、ルールの外に出ることは、ルールを守って行動することと大差がない。むしろ、決められたルールが多いストーリー中では、作者がうっかりしていると、いつの間にかルールの外に居てしまうなんてこともある。

 しかし、登場人物の視点に感情移入すると「ルールを破る」というのは、定義されているからこその意外性が加味されることとなる。「これはできない」「これはしなくてはいけない」と定義づけが世界観に固定し、物語が説得力を持ってくれるのだ。

 それをあえて破る、ということで、キャラクターの持つ非常識な性格や、異端な力や、信念の揺らぎやらといったものが強調される。何かしらのルールの隙をついてそれを破れば、知能戦としての描写にもなる。

 

 そんなわけで、物語を面白くするためには、緻密に作った設定を、ぶっ壊して打ち上げ花火にするといいんじゃない? というお話でした。

 

 ちょっと疲れたので、やっぱり次回の更新予定は未定です。

(考察に従って、自分で定めたルールを壊しに行く)